設立15年で年商480億、ドクタージャルト(Dr.Jart)はなぜ成功したのか?

この記事の著者

韓国出身のKPOP・韓国芸能専門フリーライター。慶応義塾大学卒業。

日本にて韓国ドラマや映画の翻訳及び輸入事業をサポート。広告代理店勤務を経て、2012年から韓国Mnetにて、M COUNTDONWやMAMAなどのPRやマーケティングに関わる。

現在は同社退職後、フリーライターとして、幅広い形で日韓文化交流にかかわっている。

シカクリームなどで日本で大きな人気を得ている韓国コスメのドクタージャルト

年商400億を超え今では世界的に認められているコスメブランドですが、実はまだ出来て15年ほどの新しい会社のブランドです。

化粧品は設立50年、60年が当たり前の世界ですから、たった15年でここまで大きな成功を収めたとはとても異例的なこと。

それにドクタージャルトを立ち上げたのは、大学で建築を専攻した30代の男性なんです。

日本にはほとんど知られていないドクタージャルトの誕生秘話と成功の秘訣についてお話します。

 

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ドクタージャルトの誕生秘話

ドクタージャルトは、おしゃれでユニークなパッケージと、高い製品力で日本でもファンの多い韓国コスメブランドです。

ドクタージャルトを作っているのは韓国のHAVE&BEという会社で、2004年に立ち上がった(化粧品業界においては)まだまだ若い企業。

設立して約15年で売上額4,691億ウォン(約460憶円,2018年)を記録したのですから、競争の激しい韓国の化粧品業界で本当に異例的な成功を収めた企業だと言えます。

 

そして韓国でもあまり知られていないのがドクタージャルトの意外な誕生秘話!

ものすごく早いスピードで成功を収めたドクタージャルトですから、化粧品業界で多くの経験を積んだ人が立ち上げたのだろう・・・と思いきや。

ドクタージャルトを作るHAVE&BEの代表イ・ジヌク氏は、大学で建築工学を専攻した化粧品とは無縁の人物なんです。

大学での専攻を活かして建築系会社で働いていたイ・ジヌク代表。

彼は治療のために訪れた江南のある皮膚科で、BBクリームが人気だと聞いて、そこにビジネスチャンスを感じたそうです。

元々、会社で働くよりかは起業をしたいという思いを持っていたイ・ジヌク代表は、そこから専門医とのネットワーク作りを開始!

皮膚科専門医18人にアドバイスしてもらって2004年12月にドクタージャルトの初めての商品であるBBクリームを発売することに至ります。

 

今では誰もが知っているBBクリームですが、当時は高級な皮膚科やエステティックに通う芸能人や富裕層だけがこっそり使っていたコスメ。

それを手に届きやすい形と値段で作り、オンラインモールで販売を開始したのがドクタージャルトの誕生ストーリです。

まさか建築学を学んだ30代の男性が、ドクタージャルトを作ったとは予想外すぎることじゃありませんか。

 

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エスティローダーまで認めたドクタージャルト

2004年にBBクリームを発売し、2006年の売上4億ウォン。

そこから2018年の売上4,691億ウォン(約460憶円)まで著しい成長を成し遂げてきたドクタージャルト。

 

2015年には世界的な化粧品企業であるエスティローダーカンパニーズがドクタージャルトに投資することを決定。

エスティローダーカンパニーズが投資した初めての韓国コスメブランドで、フランスの老舗ブランドからも認められたと言っても過言ではないと思います。

 

また韓国、日本だけではなく、今ドクタージャルトが販売されているのは世界37か国。

韓国の最大手化粧品企業であるアモーレパシフィックと比べても衰えないくらいです。

建築学を学んだ30代の男性が作ったドクタージャルトはどうやってここまで成功することが出来たのでしょうか。

ドクタージャルトの成功秘訣についてお話したいと思います。

 

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ドクタージャルトの成功秘訣

その1、皮膚科専門医と開発した高い製品力

ドクタージャルトの成功秘訣としてもっともよく言われているのが高い製品力です。

誕生秘話でお話したようにドクタージャルトのイ・ジヌク代表は皮膚科でBBクリームを見つけました。

その後、親戚や知り合いのツテを使って専門医とのネットワークを作り、18人の専門医に諮問を受けてBBクリームを開発したんです。※BBクリームを初めて開発したのはHanskinです。

ブランド立ち上げの時から専門医にアドバイスをしてもらったことが自然と高い製品力につながり、新生ブランドのドクタージャルトがどこよりも早く多くのファンを作ることに繋がったのです。

 

その2、長い商品開発時間

ブランド立ち上げの時から専門医に諮問を受けていたドクタージャルト。

もちろん大きな成功を収めた今でも、ドクタージャルトは専門医との協業を続けています。

それだけではなく、ドクタージャルトは”シカペア”、”バイタルハイドラソリューション”など1つのラインを作ることに長い年月をかけることでも有名です。

 

イ・ジヌクHAVE&BE代表は、ドクタージャルトの化粧品を’アルバム’と呼んだ。

「正規アルバムを一つ作るのに普通2年がかかります」

素早く変わっていくトレンドに合わせて新製品を出していく化粧品業界では長い期間である。

引用:韓国経済、2019年4月24日付け

 

化粧品業界に詳しい専門家に確認したところ、一つの商品を作るのに2年をかけるということは、韓国ではものすごく珍しいこと。

このように流行りを追っていくというではなく、長い年月をかけて品質の高い商品を作るというのが、ドクタージャルトの成功秘訣の一つだと思います。

 

その3、誰よりも早くアメリカ市場で勝負

ドクタージャルトの成功秘訣として最後に紹介するのはアメリカ市場で勝負をかけたことです。

ドクタージャルトは2011年、初めての海外進出先としてアメリカを選びました。

当時は中国で韓国化粧品ブームが起きて、ほとんどの化粧品企業が中国でのビジネスに力を入れてた時期。

また中国に進出すればとにかく成功出来るとも言われていた時期でもあります。

そんな時期になぜイ・ジヌク代表はアメリカ市場に進出したのでしょうか。

 

「韓国の市場ははやり大企業が強かったので、むしろ偏見なく製品力と新鮮なマーケティングだけで勝負をかけられるグローバル市場でまずはNo.1になりたいと思っていました。

私は韓国ブランドがたくさん進出してやりやすい市場よりは大変でも挑戦して開拓できるアメリカ市場をもっとも主力する海外市場に選びました。

誰をマネたり、誰かがすでに開拓した道を歩んでいくは、ドクタージャルトらしくないと考えたからです。」

引用:in-cosmetics korea、2019年3月15日付け

 

海外進出をする際も、目の前の利益を追うことなくドクタージャルトらしさを追求する。

しかもこの判断は、その後、韓国と中国の間で政治的な亀裂が生まれて、韓国化粧品ブランドが苦戦していた時、ドクタージャルトが安定的な売上を維持出来たことにも繋がります。

まさに凄腕経営者のセンスが光った判断ですね。

 

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まとめ

ここまで韓国コスメブランドのドクタージャルトの誕生秘話と成功秘訣についてお話しました。

ドクタージャルトの大きな人気の裏には高い製品力とユニークなパッケージだけではなく、ドクタージャルトならではの成功秘訣があるってことが分かりますね。

ドクタージャルトの商品はこちらから確認できます。

→ドクタージャルトパックの全商品を見る

画像キャプチャー:https://www.drjart.com/ 

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