映画「1987」で圧倒的存在感を見せたパク所長、実際はどんな人物だったか?

この記事の著者

韓国出身のKPOP・韓国芸能専門フリーライター。慶応義塾大学卒業。

日本にて韓国ドラマや映画の翻訳及び輸入事業をサポート。広告代理店勤務を経て、2012年から韓国Mnetにて、M COUNTDONWやMAMAなどのPRやマーケティングに関わる。

現在は同社退職後、フリーライターとして、幅広い形で日韓文化交流にかかわっている。

現在、日本でも公開中の韓国映画『1987、ある闘いの真実』。

実話を基にした映画で、作品の中にも実在する人物が多く描かれています。

今回は映画『1987、ある闘いの真実』で卑劣な反共所長として登場したパク・チョウォンについてお話いたします。

 

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目次

◆卑劣な人間として描かれる反共所長のパク・チョウォン

映画『1987、ある闘いの真実』は、1987年に起きた「パク・ジョンチョル拷問致死事件」を基に制作されました。

参考記事

映画『1987、ある闘いの真実』が描く韓国民主化運動を分かりやすく解説

 

当時、韓国は表面的には‘民主主義’を目指す国家だったのですが、実際にはチョン・ドゥファン大統領による軍部独裁体制でした。

それに対抗し、大学生など若者を中心にした民主化運動の動きがあったのですが、独裁を続けたい政府は、それを厳しく抑圧。

その政府側に立って、罪のない若者を‘北分子’という名目で濡れ衣を着せて取り締まっていたのが、南営洞警察のパク・チョウォン(박처원)所長です。

キム・ユンシク演じるパク所長は、ソウル大学の学生であったパク・ジョンチョル君をひどく拷問し、死にいたらせました。

 

それからその事件を隠ぺいするためにメディアの前で

「捜査員が机を叩いたらショック死した」

と発表したんです。

軍事政権によるメディア統制も激しかった時代なのですが、いくら何でもあの説明はおかしい・・・。

パク所長のあの一言は波紋を呼び、学生一人の死が韓国の歴史に残る大きな民主化運動のきっかけになりました。

映画にもでるあのセリフは、現代史を学んだ韓国人なら誰もが知っている、軍事政権が市民の弾圧した象徴のようにものなんです。

(キム・ユンシクは‘ほとんどの人が知っている’そのセリフを、どう表現するか相当悩んだと知られています。)

 

それではパク所長ことパク・チョウォン(박처원)氏は、実際は一体、どんな人物だったのでしょうか。

 

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◆北朝鮮出身のパク所長、なぜ警察に?

(写真:パク・チョウォンの本人)

民主化運動にかかわる若者たちを‘共産主義者’だとして、取調べ、拷問したパク・チョウォン(박처원)氏についてはあまり多くのことは知られていません。

知られている数少ない情報によるとパク・チョウォンは北朝鮮出身。

映画の中にもパク所長が自分がなぜ、ここまで‘北分子’の排除に熱を上げるのか語る部分がありますが。

家族みんなで共産主義の下で暮らしていたけれど、共産主義者により家族を殺され、一人だけが生き残ったということです。

そんな過去を持っているからこそ、共産主義者に異様なほどの嫌悪感を持っていたのでしょうね。

 

パク所長は韓国に移住してから、1947年に警察に入ります。

まだまだ未熟だったパク・チョウォンの上司だったのが、ノ・ドクスルという人物。

ノ・ドクスルは韓国では植民地時代から無実の人を拷問、事実と異なる自白をさせ、実績を積んで出世したことで有名な人物。

ノ・ドクスルは日本統治が終わってからは韓国政府の見方になり、政府に反対する勢力を取り調べ、検挙していました。

そんな所に配置されたパク所長は、そこで処世術と拷問技術を教えてもらい、どんどん昇進していきます。

 

 

またパク所長は、自分の下に(色んな意味で)優秀な部下をおき、彼らと一致団結して、緻密な捜査を行うことでも有名でした。

何だかこういう人が、良い方向に向いてくれていたらなぁって気がすごくしますが。

パク所長は優秀な部下たちと数千人に上る人たちを検挙したんです。

北朝鮮出身で、何の学歴もコネもなく警察官になり、警務官にまで出世したのは、パク所長が唯一だとされています。

 

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◆その後、逮捕されるもなんと執行猶予付きの判決に

問題は彼が47年間の警察人生で検挙した数千人の中の多くの人々が、“本当は何の罪もない人”だったという所にあります。

映画にも詳細に描かれていますが、罪のない人間に残酷な拷問を繰り返し、完ぺきな自白をさせる。

昔は証拠なんてなくても自白があれば罪があると判断されていた時代ですからね。

それがパク所長にとっては‘実績’となり、出世することが出来たんです。

 

 

もちろん、時代が変わり、1996年、パク・チョウォンは「パク・ジョンチョル拷問致死事件」を隠ぺいした疑いで裁判を受けることになります。

裁判で当時の実態が明らかになったのにも関らず、パク・チョウォンは一切、拷問したことに対して謝罪をしなかったことに知られています。

また自分の部下だった人物が裁判を受けることになった時には、どこかから裏金をもらって、彼らをサポートしていたんだとか。

 

 

裁判の結果は執行猶予付きの実刑判決。

執行猶予付きですから、実際に刑務所に入ることはなく、彼は自由の身になります。

すでに引退していると、持病もあったことが、かなり酌量された判決だと言われています。

当時まだまだ韓国の民主主義が成熟していなかった部分も大きかったんじゃないかなと思います。

 

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◆2008年ごろに死亡したと知られる

その裁判後、パク・チョウォンはメディアに注目されることもなく、2008年頃に死亡したそうです。

パク・チョウォンが韓国に住んでいたという人も、海外に移住していたという人もいますが、事実は明らかになっていません。

まあ、ある意味、今ではほとんどの国民から‘悪者’として有名ですから、家族がいたとしても公けに出ることはないでしょう。

 

映画『1987、ある闘いの真実』でパク・チョウォンを演じた俳優のキム・ユンシクは、パク所長という人物についてこう評価しています。

「ある意味、時代が生んだ怪物であり、不幸な人物」

拷問を繰り返し、数多くの人物に濡れ衣を着せ、引退してからも罪を償うことなく生きたパク・チョウォンは、どんなことを思い、生きていたのか、気になるところです。

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